小学四年生(10歳)からの一番付き合いの長い友が一昨日亡くなりました。
第一報を受けてから、ほんの二日間の出来事でした。哀悼と受け入れ難い
現実に対する気持ちを整理する為、ここに彼への思いを綴ります。
先週末の三連休、私は高校の先輩方に同行させて頂き、太宰府天満宮へ
厄払い旅行(小生今年が本厄です)に行ってきました。大雪の中での参拝と
なりました。帰宅後の就寝中、普段は途中で起きることがないのに真夜中
胸が息苦しくて、目が覚めました。飲み過ぎを反省した次第でした。
ところが、その翌日も同様に胸が息苦しくなり、真夜中に目が覚めました。
更に、その翌日も続きました。三日続けて夜中に目を覚ました時に、ある
友人からメールが届きました。『メールを見たら至急連絡欲しい』と。
15日深夜0:01の出来事です。嫌な胸騒ぎを抑えながら電話すると、それは
親友の危篤を知らせる連絡でした。
突然で、あまりにも突然過ぎて、耳を疑うというより友人の言っていること
の意味がよく分かりませんでした。頭がパニクって、気付けば、深夜だった
にも関わらず、高校の先輩でもある亡き友のお兄さんに電話していました。
その日のうちに、深い付き合いのある友人たちと病院へ駆けつけましたが、
集中治療室でいろんな装置を付けられたまま横たわっている友が目を開け
てくれる事はありませんでした。
30年間の付き合いで笑顔じゃない彼を見るのは初めてでした。大学受験で
失敗し、浪人した時でさえ、親心をヨソに僕らは笑顔でしたから。
その日は駆けつけた友人たちと一緒に病院近くのホテルに宿泊しました。
翌日、新幹線に乗る前、もう一度励まして帰ろうと思い、病院へ立ち寄ると
まさに、ご家族と一緒に治療室から出てくる瞬間でした。
戦いを終えた友は、白い布で覆われていました。
前日、枕元に置いてきた太宰府のお守りは、御利益があったのだろうか・・
僕が意を決して東京から戻って来たとき、彼は、家族ぐるみで僕を励まして
くれました。僕が家業を継いで直ぐに大ケガをした時(前歯が4本折れ、唇と
歯ぐきを30針縫いました)、彼は僕に、こうアドバイスしてくれました。
『鶴ちん(彼は僕のことをずっとそう呼んでました)、腹をくくって体を張って
仕事するのはいいけど、順番だけは守らなアカンで』
その彼が、自分のご両親よりも先に旅立ちました・・・
僕たちが病院に行った際、おばさん(亡き友のお母さん)や妹さん、そして、
奥様までが気丈に我々を受け入れてくださいました。面会謝絶だったにも
関わらず、本人に会わせてくれました。
『この2週間、さすがに涙も枯れました』おばさんがそう言ってたよ。
『子供たちにパパの事を話してあげてください』奥様が号泣していたよ。
今日の通夜と明日の葬儀には、全国から、君の友人や恩師が大勢来ます。
お店にキープしてる君のボトルは僕が持っていくから、今晩一緒に飲もうよ。